自然あふれる出雲の幸と
あたたかい食卓は
人びとの心身を豊かにする
あさつともこ
浅津知子
出雲市出身。元々、青少年育成に関心があり教員免許取得。 心の乱れが食と関連している事を痛感し、キッチンスタジオ夢の食卓を開設し講演などを通し食の大切さを伝える。 日本マクロビオティック正食協会本校講師。すこやかな大地と食卓プロジェクト会長。その他商品開発や企業の食関連事業の監修。 有機JAS島根米の玄米コロッケを海外で販売。著書に「出雲から未来を想うレシピ ようこそ! 夢の食卓。」
食べることは生きること
全ての基本は「食」にある
私の想いの原点は「食卓」です。自身の子育てやPTA活動を通して「食べる」というあり方が、健康だけではなく精神まで影響していることに気づきました。PTA活動していた20年前は、出雲もですが日本中荒れた子供が取りざたされている時で、食と心の乱れが関連していることなど論じられることはなかったので学校では、挨拶運動など食育ではない取組をしていました。ただ体育会系の息子3人を育てていた私はクタクタで家へ帰った時に、寒い日にはあたたかい物を、暑い日は食べやすい物を、家族のお誕生日には、その人の大好物をどんなに忙しくても最優先して作る日々でした。
「食卓」を人間が生きる原点と考えていました。何らかの原因で心が乱れてしまった子達は、家へ帰っても「自分の食」がない。またはどこからかエサ状態でポンと置かれる。食卓は説教の場であった。反対にこれほど作ってあげてから食べなさい。なぜ食べないかと攻められるetc。お腹がすいた時においしいものが笑って食べられたら人間はどれほど嬉しいことか。子どもも大人も同じはずです。心が荒れるのは、きっと「食事」が軽視されているに違いないと思いました。
その後食育基本法が平成17年に制定され、食育を「生きる上での基本であって知育、徳育及び体育の基礎となるべきもの」という位置付けられたのですが、当時は食との関連は論じられず、私は1日頑張って帰ってきた時にお腹いっぱい食べられない育ち盛りの子がいるとしたら、胸がつまる想いでした。そして、私が出会った子達はみんな心がとてもきれいな子達でした。親はみな我が子は可愛いのです。でも「食べること」が、どれだけ家の中でその人の存在を確認する場であり、居場所であるのかを知らないだけなのです。居場所があればどんなに寄り道しても、必ず帰ってくると思うのです。
想いは止まらず「食育」活動に向けコツコツ勉強
そして下準備を
子育てが終わり「自分に何かできることがあるのではないか」「今この時も心が乱れた子ども達が増えているかもしれない・・・」と思うと悶々とする日々。しかし家族に反対され何も動けない年月が続きましたが、想いが止まることはなく毎晩、皆が寝静まってから事務所へ行き、夜中まで食の勉強をしました。時間を作っては県外へも勉強に出かけました。
家族の反対は、日中は家業の仕事をこなし夜は寝る間を惜しんで勉強する私の体を気遣ってくれていたからでした。それでも私がやらなければ、と思っていたので諦めず勉強を続けていましたら3年過ぎた頃、ようやく夫が認めてくれました。
それからは、溜まっていた想いが一気に放たれ「食育」活動のスタートをきったのです。実は店舗の中に無料開放できるキッチンを作りたくてすでに図面完成。そこまで内緒で準備は進んでいました(笑)。
キッチンをつくり料理教室を開きたかったのは「食」の重要性を知らない人々にも、楽しく集まっていただき、その大切さを伝えることができると思ったからです。その頃は出雲にあまり料理教室はなく、何もないところからのスタートでした。なんども壁にぶち当たりましたが、活動できない3年間がバネになり乗り切ることができました。スタートしたら参加された方々の喜びの声を聞き、家族はすぐに賛成して協力してくれました。
「正食(マクロビオティック)」と出会い
日本食の素晴らしさを再確認
マクロビオティックとの出会いは、勉強会にアレルギーの子どもをもつお母さんが参加していて「この料理法で命を助けてもらった。一生この料理をやります」と涙ながらに言われたことです。それまで私は食のことを一生懸命勉強してきたはずなのに、マクロビオティックのことを全く知らなかったので、金づちで頭を叩かれた思いでした。すぐさまマクロビオティックのことを調べ、先生に出雲へ来て頂くお願いで日本マクロビオティック正食協会の本校へすっ飛んで行きました。今から思うと、田舎のおばさんがいきなり行ってビックリされたかと思います(笑)。そこでは、これまでの自分の体験や食に対する思いの丈を話しました。一方、先方はとても冷静で(笑)「あなたはこの料理がどういうものか分かっておられますか?まず自分が勉強されてはどうでしょう」と言われ、初級から勉強をはじめました。それから中級、上級と学んでいると、これはとても大切な学びであると想い、最後の師範の資格も取得することができました。現在は本校の講師でもあります。
マクロビオティックとは日本の昔からの伝統食。梅干しや味噌を大切にし「身土不二」 といって、住んでいる地域の産物は体に合っていて元気になる。とか「一物全体」といって皮ごと丸ごといただくとバランスの良い栄養がいただける。また、できるだけ添加物のないものを選択するということを学ぶ料理であり、自然に則した生活法でもあるのです。食べものが整うと心も穏やかに整うことから世界中の平和を願い各国へ普及したことから「正食」が逆輸入された形でマクロビオティックともいうのです。
習った料理を家の食卓に出していると、夫の肝炎や糖尿病の数値が正常に戻りました。玄米食も、おいしく炊く方法を知ってつくると全然違います。夫が玄米食にハマってしまいました(笑)。「これは本物じゃないか!」と理解力が深まったほどです。私はマクロビオティック正食協会の校長先生が卒業式で「これはビジネスではありません。地域へ帰り人々の健康を願い一つ一つ種まき役をしてください」と言われ、とても心を打たれ、答辞の私は「はい。地域に帰って種まきをします」と約束しました。その言葉は一度もぶれることがありません。
そうして出雲教室でマクロビオティックの認定をすることができますし、本校や東京校の講師となり、活動の幅も広がりました。その中で、自然農の農学博士や教授など、無農薬で野菜をつくる若者、保育園の栄養士さんなど、導かれるようにいろいろな人に出会い支えられながら活動してきました。また県内外で講演会に呼ばれ、先日は東京で食関連会社の経営者の皆様の前でお話をさせてもらいました。このように私を呼んでいただけることは、「食」に対して関心や思いが変わり、本物の素材が大事だということに皆が気づいてきたということです。
エネルギーある出雲の食材をつかった
「食べるお守り」を全国で販売
東京教室をして感じたことは、出雲には自然の恵があふれている。肥沃的な大地、山も川も湖も海もあり、身近に多種多様の食材が揃います。一方、出雲市は郷土料理が少ない…なぜなら、素でそのものがおいしく食べられるからじゃないかと思うのです。魚、海藻、野菜もすぐ近くでとれ、いろいろなモノが新鮮にいただける。保存食にしなくてもいいのです。そして農薬や化学肥料を使わなくてもいいものが育つ地域。そう、そのものにエネルギーがあるのです。
最近は、地域の素材を生かしたおもしろい活動もしています。出雲地方は「出雲國風土記」にもあるように太古から薬草が豊富な地域で、出雲商工会議所がそこに着目して薬草プロジェクトを立ち上げました。その中で「いずも薬草女子会」を結成し、私も商品開発の監修者として”がんばる女子”を応援する商品化に携わり出雲産のエネルギーあふれる「美肌の国出雲」発”食べるお守り"「大豆と米粉のシリアルバー」と「米粉のクッキー」をつくりました。抗酸化力があり美活効果が期待される薬草の出雲産アカメガシワを配合し、オール無添加、しかもグルテンも入っていないマクロビオティック健康食です。「東京インターナショナル・ギフト・ショー」ではバイヤーに注目され、春からは大手コンビニでの販売も決まりました。
エネルギーをもつ出雲の食材はまだまだ発信されていません。今まさに地域資源の良さを発進できるチャンス! 私は「食」で子どもたちをはじめ皆さんが元気で過ごせる活動をやり続けます。農薬や化学肥料や添加物などを使わなければ、田畑から流れる川や海の水が変わります。循環型社会をめざして「食」から変えていけば、日本どころか地球をも変えることができます。争いごとのない世の中になるはずです。その目標にまだ到達してないので、まだまだ止められません!
出雲人が薦める出雲
- エネルギーいっぱいの野菜たち
澄んだ空気、薬草が多く育つ山々、質の良い稲が育つ出雲の地では、エネルギーいっぱいの野菜が育ちます。
嬉しいことに農薬や化学肥料を使わない生産者さん達が増えてきました。
- 十六島海苔
「出雲国風土記」に記載されているほど歴史は古く、江戸時代の文書には出雲大社の教えを全国へ広めていた「御師」が信徒にお札を授ける時にこの海苔も配布していたと記されています。
きめが細かく、香りが上品。足場の悪い岩場で激しい波間をぬって命懸けで摘み取る最高級の海苔です。
出雲では正月の雑煮が代表的な料理。