広告を通じて
魅力的なもの・人を伝えたい
ふの かつひで
布野カツヒデ
(株式会社 あしたの為のデザイン 代表、グラフィックデザイナー)
出雲市出身。高校卒業後、出雲市内の大型スーパーに就職。1年半勤めた後、島根デザイン専門学校へ入学。専門学校卒業後は出雲市の印刷会社、松江市のデザイン事務所に勤務し、様々な広告賞を受賞。 フリーのグラフィックデザイナーを経て、2015年にデザイン会社「あしたの為のデザイン」を設立
デザイナーってモテるかな?
そんな気持ちから始まったデザインへの道
元々はデザインの仕事に興味はなかったんですよ。母が美術の先生だったり、叔母が都会でデザインの仕事をしていたりという環境ではあったけど。
高校時代はサッカーに夢中で、あまり先のことは考えていなかったので就職できればいいやと大手のスーパーに就職しました。でも毎日の仕事がつまらなくて。次どうしようかと考えた時に、高校生の時の帰り道のことを思い出しました。同級生の女の子に、将来デザイナーになりたいと語ったことを。デザイナーってモテると思ってカッコつけて言ったのかな〜(笑)。
ちょうどその頃、タイミングよく島根にデザインの専門学校ができることになったんです。
仕事をしながら夜もバイトをして、入学資金などのお金をコツコツ貯めました。ぶつけまくったボッコボコの軽自動車に乗ってても気にせず乗っていたら、友達のお母さんに「布野くんは贅沢しないでお金貯めて偉い!」って褒めてもらったなあ・・・。
家族には最初は反対されましたが、母は応援してくれましたね。母のおかげですよ。本当に感謝しているし、お母さんの子どもに生まれてよかった〜!!
専門学校ではビジュアルデザインコースで勉強しましたが、学校もできたばかりで先生たちもまだ模索中で。フォトショップの使い方は、近所のお寺のお坊さんが教えてくれたんですよ。Macがすごい好きな人で、家にはいっぱいMacが揃っていて。先生は、趣味でやっている人が教えに来る感じでしたね。だから僕たちもほぼ独学だったかな〜。学校には陶芸コースもあったので、サラリーマンを辞めてきた人とか変わった経歴の人が多くて面白かったですね。
寝る間も惜しんで働いた会社員時代
会社には自分専用の布団が!
就職は流れで求人のあった出雲市の印刷会社に入りました。Macが普及し始めた頃だったので業界もMacを使える人を欲しがっていて、デザイナーの仕事に就くタイミングが良かったですね。
すっごい働いていたんですよ。とにかくずっと会社にいたような状況。休憩室に紙をいっぱい持ってきてそれを掛けて仮眠してました。印刷会社だから紙はたくさんあるんですよね〜。それを見かねた会社の人が羽毛布団を買ってくれました。
それから技術をもう少し身に付けたいという気持ちがあって、デザイン学校の先生に相談したら県内でも有名なデザイナーさんに相談してくれました。そしたらそのデザイナーさんが「布野くん、今度からうちで働くってよ」って。慌てて勤めている印刷会社に辞めますって伝えました。会社側からしたらちょっと待てよ!ですよね。しかもちょうど僕が結婚するタイミングで、印刷会社の社長も結婚式に招待してスピーチをお願いしているっていうね(笑)スピーチで「まあ、この人やめるんですけどね」みたいな(笑)。まあ、行き当たりばったりが多いかな〜。
次のデザイン事務所でも長めのベンチで寝てたら、今度はベッドを買ってくれました。ある日突然大きい荷物が届いて「布野くんこれベッド入ってるから。泊まれってことじゃないけどね」って。
当時は意識していなかったけど、働いてばかりだったのは働くことで勉強するしかないと思っていたのかな。デザイン事務所には3年くらいいたんですけど、精神的に病気になって辞めることになりました。いろいろ自由にはさせてもらっていたし、環境的にも恵まれていたんですが、精神的にプレッシャーを感じるようになったんです。何かを作るということに対するプレッシャーですよね。その頃、賞をもらうこともあって世間の評価も高くなってきていたので、その時に期待通りの仕事をしていくっていうのが難しくなってきたのと、デザインの世界ってアートとしての部分とビジネスとしての部分の葛藤もあったり。それで少し休むことにしました。
精神的な病気って周りの人が気がつくって本当に大事ですよね。ゆっくり休んで気持ちも持ち直しました。妻もその間、何も言わず支えてくれました。
周りの人の支えがあるからこそ今の自分がある
デザインの仕事はどうでもいいかなと思って、しばらく友達の家の醤油やさんでバイトをさせてもらっていました。でもその友達が「こんなとこで醤油作っとってそれでいいかや。俺が仕事見つけてくるから!」って、ポスターとかの仕事を見つけてきてくれたんです。パソコンとか必要なものを全部用意してくれた友達もいました。本をたくさん読む習慣を教えてくれた友達もいます。本を読むようになって意識も変わってきましたね。
本を読む習慣はずっと続けていて、最近はコピーってすごく大事だなって思うようになって、コピーライターさんのSNSをフォローするようになりました。その縁で読んだ本もあるし、今までビジネス書っぽい本を読んでいたんですけど、いろいろな本を読んでみて読書の傾向も変わってきました。
その後、フリーで7・8年活動しました。以前の精神疾患のこともあったので1人でやるのも危険だなーと思うようになって、手伝ってもらう人を少しづつ増やしていったんですね。別の会社に協力してもらったりすることもありました。そういう人たちでチームとして仕事をするようになり、2015年にあしたの為のデザインを設立しました。
その後スタッフも増えていって今では優秀なスタッフが揃っています。みんな人柄も良くてパーフェクトヒューマンですよ。みんなのおかげで会社が回っています。
助けてくれた友達、家族、スタッフ、みんながいたからここまで来れたんです。
今までの経験から、若くて体力のある元気なうちに何かにコミットして一生懸命やるっていうことは大事だと感じています。何事も続けることが大事ですね。とにかくみんな一生懸命頑張ってくれているから、それが無駄な時間だと思われないようにしたいですね。
デザインすることは興奮すること
日々興奮していきたい
若い時はとにかくかっこいいものを作りたいと思っていたんですけど、最近はそう思わなくなってきました。いかに自分がその魅力を人に伝えられるか。それが大事だなと感じています。
自分が広告を作っている時に、この広告によっていろんな人にこの商品や人物の魅力を伝えられるんだと考えると、だんだん興奮してくるんですよ。今特に力を入れているのがスサノオマジックの仕事なんですが、試合を見に行くと熱気がすごい!日本一の選手が集まっているし、ファンも熱い!日本一の選手を広告でレイアウトできるとか、そうそうないじゃないですか。そんな選手が島根にいて頑張っているおかげで僕らも仕事になっている。そう考えるとだんだん興奮してくるんです。
お客さんと打ち合わせをすると、熱い思いでいろんな話をしてくれるので、これをなんとか人に伝えないといけないと思うんですよ。いいことって人に伝えたくなるじゃないですか。それが広告することの大事なポイントじゃないかなと思っています。
広告を担当させてもらったもので、ヒット商品になったものが結構あるんですよね。たくさんの人に良さを知ってもらえると嬉しいですね。
日々、興奮できるものを探しています。これからも日々興奮していきたいですね。
出雲人が薦める出雲
- 島根スサノオマジック
とにかく熱いバスケットボールチーム。日本トップレベルの選手が集まって日本一を目指して頑張っています。島根に日本一のチームが誕生するよう、これからも応援しています!
- 出雲時間
出雲らしいゆったりとした時間のことですね。僕は時間を守るのが苦手なんですよ。遅刻した時に「本当にすみません、出雲時間で」と言って許してもらうというね(笑)それが通じる出雲はいいですね、、、すみません。ごめんなさい。