イタリアの食文化に学ぶ
豊かで上質な食生活の提案

いたくら ふさこ

板倉 布左子

(イタリア料理教室effe-co主宰)

出雲市小山町出身。23歳の時にイタリア・トリノの料理学校へ留学し、ICIF(※1)マスターコースを修了、ディプロマ(※2)を取得。その後もイタリア料理への探求を続け、計10年間のイタリア生活を経て、帰国後は地元島根と東京でイタリア料理教室を主宰。そのほか出雲市で定期的にフードマーケットを開くなど、島根と東京を拠点に、食に関する積極的な活動を行っている。 ※1:Italian Culinary Institute for Foreigners:外国人のためのイタリア料理学校 ※2:修了証明書

「食」への興味が切り開いた
イタリア・トリノへの道

食に対する興味は昔から強くあったと思います。食べることが大好きで、そのために東京の大学に進学しました。テレビや雑誌で紹介されている店に行けることがうれしかったです。当時愛読していたグルメ情報誌があったのですが、その編集部で働きたいと思い、電話をかけたんです。そうしたらバイトをさせてもらえることになって、大学卒業後もそのまま勤めることになりました。

仕事でライターさんと一緒に色々な飲食店を訪れる中で、「ここおいしかったな、もう一度行きたいな」と思った店が全てイタリアンの店だったんですね。それでもっとイタリア料理について知りたい、イタリアン専門のフードライターになりたい!と思うようになって。これは本場のイタリア料理に触れて、専門的な知識を深めなければとイタリア行きを決意して、トリノから1時間程のアスティという市にある外国人向けの料理学校「ICIF」に留学しました。仕事を辞めてイタリアへ行くというのは今振り返ると思い切った決断でしたが、若かったのであまり先のことを考えず、勢いだけで行きました(笑)

ICIFでは毎日、一日中料理について学びました。ランチタイムにはサービスやキッチンの学習もあり、夕食は学校のシェフによるビュッフェスタイルのディナーでした。そこで食べたイタリア料理は、東京で食べ歩きしていたものとは全く異なるものでした。素材の違いはもちろんですが、私にとって全てが初めて見るものばかりで。学校が終わってからも、寮生活を共にする日本人数名でワインやチーズを選んで購入し、飲んで食べて、ひたすら食について語り合う。もう朝から晩まで食に時間を使っていました。その学校研修の1ヶ月間は楽しすぎて、私死ぬんじゃないかなと思ったくらい(笑)あれ以上の幸せな時間はなかったですね。

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語学留学で再びトリノの地へ!
イタリアでの暮らしで目標や心境にも変化が

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ICIFでのプログラムが終わって帰国しましたが、そこで満足とはいかなくて。会話はおろか、イタリア語のレシピも読めないレベル。「こんなことでイタリア料理は語れない、イタリアン専門のライターにはなれない!」と思ったんです。そこで1年後に再び渡伊を決意、今度は学生ビザを取得してトリノの語学学校へ留学しました。イタリアの文化を知るために最初の2ヶ月はホームステイを選び、その後はシェアハウスを探して現地の学生と4人で暮らしました。

貯金もどんどん無くなっていっていたので、夏休みなどの長期休暇に帰国しては短期バイトでお金を貯め、またイタリアに戻るという生活の繰り返していました。

イタリアには日本のファミレスのような手軽でリーズナブルなお店はないので、節約のために毎日自炊です。マーケットで知らない野菜があれば、ホームステイ時代のホストマザーに食べ方を聞いて作る。そんな生活を続けるうちに、自分で作るのが楽しくなってきて、考え方も変わっていきました。

もともとはフードライターに目標を置いた留学でしたが、料理って全て、シェフのそれぞれのポリシーのもとで作られているわけで、その料理をライターの目線で語るより、料理を作ることや食を通じて新たな関係性が生まれることや、食事で誰かに感動を与えられることに素晴らしさを感じ、料理教室に興味を持つようになっていきました。

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フリーランスビザの取得、
そして料理を指導する側へ

そんな生活が3年ほど続き、いよいよ学生ビザがこれ以上更新できないという状況に。そろそろ風来坊のような生き方をやめ「日本で真面目に働くべきか!?」と。しかしイタリアでの生活にも未練があり、人生の岐路に立たされました。そこでフリーランスビザを申請し、ビザが下りなかったら帰国しようと決めました。そしたら許可が下りて、ということは、日本に帰るのは今ではない!と思ったんです(笑)でも学生ビザと違って税金も発生するため、就業しなければなりません。イタリア語もだいぶ上達したので、色んなレストランやカフェに履歴書をばらまきました。そして連絡があったのが「BARATTI&MILANO」というトリノの老舗カフェ。まかない付きのありがたい職場で、ここで3年ほど働きました。

そしてある時期、トリノ市内の料理スクールにに勤めていた女性から、「自分の料理教室を立ち上げるので手伝ってほしい」と誘われて。現地のイタリア人に向けて、おもてなし料理やちょっとオシャレなメニューを教えるような教室でした。そこではオーナーと一緒にメニューを考え、できるところは私が教えて。ケータリングサービスなどもやっていました。そこでまた3年ほど働き、イタリアでの生活も10年になった頃に帰国を決めました。

今は島根と東京でイタリア料理教室を主宰するほか、様々な活動をしています。教室では伝統的なイタリア料理というよりは、おもてなしに向いているフィンガーフードや、イタリアンをベースにした創作的な料理を中心に教えています。東京ではデザイン会社に出張でランチを作りに行くことも。社員の皆さんが楽しみにしてくれていて、おいしかったと喜んでくれる、そういう生の声がうれしくて。食べるのも、食べてもらうのも好き。おいしい料理って人を幸せにしますよね。

出雲では毎月出雲近郊のおいしいものを集めたマーケットを開いています。帰ってきて料理の素材を探す中で、島根ってこんなにいいものがあるんだ!というのを再発見したんです。イタリアに行った目的の一つに、イタリアが提唱した土地の伝統的な食文化や食材を見直す運動「スローフード」への探求というのがあって。島根でも意外と地元の人が知らない食材があると思うんですが、知ることで食生活がもっと豊かに楽しくなると思うんです。そういう発見や食を楽しむ場として、マーケットに来ていただきたいと思っています。

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家での食事を楽しくする一工夫の提案

日本で自分の店を開くとか、そういう選択肢は全く無かったですね。もちろんレストランでの食事は素晴らしいと思いますが、それは特別な時間で、日常ではやはり家庭での食事というのを大切にしてほしいと思います。イタリアにはコンビニがなくて、日曜日に開いているスーパーも少ない。レストランはもちろんありますが、基本的には地域の食材を使って料理をして、家庭で食べるということを日常としています。

日本は飲食店の選択肢も幅広くありますが、孤食化に拍車をかけているという問題があります。食事というのはやっぱり生きる基本として大切なものであり、会話などでコミュニケーションが生まれる時間。お店みたいに凝った料理じゃなくていいんです。ただご飯がいつもよりちょっとおいしくできたり、見た目が違うだけでも気分が変わるし楽しくなる。そういった「できるだけ家で食事をしようという発想になる何か」を、提供・提唱していけたらいいなと思っています。

東京と島根を行き来していて感じますが、東京はたくさんの人がいても、意外とコミュニケーションがない。イタリアでは誰かに会ったら必ず挨拶をしますが、島根もまた、そういう古き良き文化が残っている地だと思います。田舎は関係性が濃いのが疲れるという人もいると思いますが、私は東京と比べて落ち着くし、悩む時間も少ない。なぜかと言えば、1人の時間が少ないからかなと思うんですよね。

イタリアにいた時はみんなで食事を取るという事が当たり前過ぎて気づけませんでしたが、日本に帰国してから人と話すという行為は幸福度に繋がっていると感じました。家族や友達、みんなでご飯を食べて話をすることは、食育的な観点から見てもすごく重要なので、できるだけ個食を無くして、みんなで食事ができる空間を提案していけたらと思います。

有り難いことに今とても忙しく、お休みというのはほとんどありませんが、年に数回バケーションを兼ねて、ブラッシュアップのためにイタリアに行っています。向こうの食もどんどん進化しているので、新しい食生活や文化をまた日本でアウトプットして、いずれは日本のいいものをあちらに紹介していけるような活動もしていきたいと思っています。

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出雲人が薦める出雲

出雲の自然
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出雲の豊かな自然が大好きです!中でも海が好きで、出雲大社から日御碕に向かう日御碕街道は「出雲のコート・ダジュール」と呼んでいます(笑)時間がある時は一人でぶらりと日御碕灯台を見に行って、近くのお店で魚定食を食べて帰ります。

SUNDAY MARKET CiBO
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地元のメンバー5人で月に1度フードマーケットを開いています。野菜やハーブの加工品など、出雲近郊の選りすぐりの良質な食材を集めたマーケットです。ぜひ遊びに来てください!

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