陸上人生を突っ走り
セカンドライフは妻とハーモニカと

いわさき いわお

岩﨑 巌

(ハーモニカ奏者)

出雲市猪目町出身。島根大学教育学部を卒業後、中学教師となる。自身も陸上競技(ハンマー投げ)を行っていたことから、陸上競技の指導者に。指導者としては中学日本一の生徒を3名育て、優秀指導者賞(日本陸連・1998年)を受賞。目が不自由になったことがきっかけで63歳からハーモニカをはじめ、県内外に出向き演奏活動を行っている。

選手としても教師としても
陸上一筋人生!

島根大学教育学部を卒業後、昭和46年に中学校の保健体育の教員となり、部活動は陸上部の顧問をしていました。自身も高校から陸上競技のハンマー投げをしていて、2、3年のときに中国大会で優勝。大学では中四国学生大会で4連覇、教師になってからも全山陰陸上大会で10連覇を成し遂げました。その実績もあり、昭和57年に島根で「くにびき国体」が行われたころから、より陸上指導に没頭したかと思います。なぜなら、高校時代に教わった今岡進先生が、自分を育ててくださったので、次の世代に恩返ししたい。そして陸上競技で日本一を育てようと思ったからです。

出雲第三中学校に赴任した頃には、三種競技A(100m・走高跳・砲丸投げ)で日本一になった女子生徒が優秀選手賞を受賞。そして三種競技B(100m・幅跳び・ハードル)で日本一、三種競技Aで2位になった女子生徒も指導しました。また大和中学校では砲丸投げで日本一になった男子生徒もいました。逸材の人物と出会えたおかげで、1998年に日本陸連から優秀指導者賞を、また2007年には中学校校長として文部科学大臣教育者賞を受賞しました。

日本一の選手を育てる基本は、その選手だけではなく、部活全体を育てていかないといけません。陸上は記録の勝負のため、一人一人がどう記録を上げていくのか、その総合力で部活全体の力が付くのです。そういう意味で一人一人の生徒に合った適性のある種目選択とそれに対する個々の指導を行うことが大事です。

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全精力をかけた
出雲全日本大学選抜駅伝競走開催

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体育の教員、生徒指導主事、そして陸上の指導者として忙しい日々を過ごしていた頃のことです。当時、出雲市長立候補前の岩國哲人氏とお会いしました。その時に「東京大学の同期は、島根県や出雲市を知らない。出雲市の市長になった暁には、誰にもわかる〝出雲市〟になるよう、全国放映できるスポーツイベントをしたい。神在月に全国の神々が集うように、出雲で全国から人が集う駅伝ができないだろうか」という話を伺いました。それがきっかけで「出雲全日本大学選抜駅伝競走」がはじまったのです。

それはもう、初回は大変な作業でしたよ。レースのコースを決めるだけでも一苦労。3年で作り上げる駅伝イベントを、3カ月でやり遂げたのです。はじめはクロスカントリーリレー大会という名称で、たすきリレーではなくボディタッチリレーでした。次の大会からたすきリレーの駅伝となりました。

現在は大学三大駅伝の1つとなり、「出雲全日本大学選抜駅伝競走」は平成30年の大会で30回目を迎えました。6年前に出雲市陸上競技協会の会長職を退きましたが、これまで自分の人生の中で1番の大イベントでしたね。地域の皆さんと力を合わせて、おらが町のふるさと駅伝ができて良かったです。

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まさか自分が…
失明、失望を乗り越える。

53歳の頃、河南中学校で校長職に就いていました。朝、学校へ行く途中に、前の車のナンバープレートの数字が見えにくく、すぐ眼科へ行きました。すると「これは難しい病気ですね」と言われたのです。左目の病名は網膜色素線条症。今の医学では治療法がないということでした。いろいろな病院へ行き、手術をしましたが、眼帯をとると左目は何も見えませんでした。

「自分がまさか!」と思いましたよ。治ると思って手術をしましたから。その後、右目も悪くなり、61歳の時に視覚障がい者の認定を受けました。現在、左の目はほとんど見えません。運転もパソコンもできず「あ。何もできない」と失望しました。

しかし、できないことを数えるのではなく「できるものを見つけて楽しむ!」そうすればいい!と考え方を切り替えたのです。

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第2の人生は
妻・君子さんとハーモニカと共に

昔から楽器で音を出すことに興味がありました。実は40歳代のときにハーモニカを買って趣味で吹いていました。定年になり、最後の卒業式に校長としてのあいさつのあとに、生徒の思い出になればと思い、ハーモニカで『ふるさと』を演奏しました。それがとても好評でした。

退職後に文化教室のハーモニカ講座に半年ほど通い、あとは独学で演奏。その後、地域の行事などから演奏会活動をはじめました。

現在は、コミュニティセンターの集いや幼稚園、老人会、病院など、県内外いろいろな所へでかけます。車を妻に運転してもらいながら、まるで小旅行のようです。曲は子どもが歌えるものから、ジャズ、映画音楽、日本抒情歌などさまざま。また、東京から来たバンドや演奏家の方々とも共演しています。

人生の大半は陸上人生でしたが、目が見えなくなった第二の人生はハーモニカです。障がいを乗り越え、妻に車を運転してもらいながら地域の皆さんのところへ行き、演奏を披露しながら楽しく過ごしています。

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出雲人が薦める出雲

出雲そば
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出雲そばの店はたくさんあります。一つにしぼるのは難しいですが、大社町の「平和そば」が好きです。いつも一番奥の座敷でゆっくり割子そばを食べています。

稲佐の浜の夕日
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生まれたところが猪目という港町で海が好きです。稲佐の浜や日御碕近辺は日本遺産「日が沈む聖地出雲」になりました。浜で波の音を聞きながら、潮の香りをかぐと心が落ち着きます。

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