日御碕神社にまつわる知られざるヒミツ! 経島周辺の海域には海底遺跡が眠っている!? その真相を調査

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旧暦の10月を「神在月(かみありづき)と呼ぶのは、日本でも出雲だけだ。これは八百万の神々が出雲大社に集結することから、他の地域では神様不在となり「神無月(かんなづき)」と呼ぶ。

神々や神話なくして、出雲を語ることはできないだろう。これまで連綿と語り継がれてきたそれらの神話に、新たなナゾが浮かび上がってきた。それは、日御碕神社・経島などにまつわる「海底遺跡」の存在だ。

・海底遺跡発掘の難しさ

おそらく多くの人が、「海底遺跡」と聞いてもピンと来ないかもしれない。というのも、科学的な検証が難しく、現段階では推測の域を出ないからである。検証を難しくしている理由のひとつに海がある。

陸上の遺跡であれば、ほとんどが土中に埋もれているため、古代の物証を掘り当てることがカギとなる。少なくとも掘り当てられるまでは、その存在が知られることはなく、また消えてなくなることも少ないだろう。

だが、海中の遺跡は、常に移り行く潮の流れの中にある。したがって、11秒たりとも、そこに存在することが確実ではないのだ。また劣化も早く、海水の中で朽ちていく可能性も十分ある。もし仮に、そこに遺跡があったとしても、海上からその存在を確認することも難しい。専門チームがばく大な費用と時間と手間をかけて、手がかりを探していくのがベスト。それでも砂漠で1円玉を探すような手探りに等しい

 

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・AQUA工房の岡本さん

なかば夢物語かもしれないのだが、その可能性を信じて、海底遺跡の存在を語る1人の人物がいる。ダイビングステーション「AQUA工房」の岡本哲夫さんだ。

岡本さんが海底に何かあるのでは? と感じたきっかけになるのは、17年前のことだ。経島の周辺はダイバ―が潜ることは許されなかった。理由の1つは、経島そのものが聖地であることにある。経島に立ち入ることが許されるのは、神職のみでそれも年に1度の神事の時のみだ。また、ここはウミネコの繁殖地であり、国の天然記念物に指定されている。一般人では島に立ち入ることができない。ダイビングも当時は許されていなかった。

 

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・17年前から海域をダイビング

もうひとつの理由は、漁師が漁場を荒らされることを嫌がった。当然漁師たちも生活が懸っており、見ず知らずの人を容易く潜らせる訳にはいかなったのである。

ある調査をきっかけに、週に1度とはいえ、貴重な機会を得ることができた岡本さんは、仲間たちと周辺のダイビングポイントの探索を始めた。当然この時に、海底に遺跡を思わせるものがあるとは、夢にも思っていなかった。

 

ところが、潜っていくうちに、自然にできたとは思えないものを複数目にする。現段階(201710月)で、岡本さんたちが確認している海底遺跡と思われるものは、日御碕神社および日御碕灯台周辺の2箇所の海底に分かれている。経島周辺と、その沖にある「タイワ」と呼ばれる領域。そして、日御碕灯台の沖合、「サドガセ」と呼ばれる領域とその北側の「ボングイ」周辺だ。

 

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・人工的に削られた岩跡

経島の海底では、2箇所のトンネルと参道を確認し、白砂と玉砂利が敷かれた場所があることを発見。サドガセ・ボングイでは、大きな岩が寄りそうように立つ岩屋や、階段などを発見している。20mにわたって人工的に削られた岩の跡も確認しているのだ。

 

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・亀石の発見

決定的だったのは、亀石だ。岩壁の方に向かって頭を上げる亀のような岩、その岩壁には2段にわかれた筋があり、その筋を通じて水が流れていた形跡がある。

 

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つまりこの亀石は「水がめ」の役割をはたしていたのではないだろうか? これが自然の造形だろうか? いや、そう考える方がむしろ不自然かもしれない。

 

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・測量をしてわかったこと

潜り続けるうちに、ぼんやりしていた海底遺跡への疑念が、岡本さんのなかで確信へと変わった。とはいえ、彼はダイバーであり、歴史や地質の専門家ではない。

そこで、知り合いを通じて松江市の測量関係の会社に、この周辺の地質に関する調査をお願いしたところ、驚くべきことがわかった。それは、この周辺には大きな断層があり、地滑りを起こした可能性があるという。

 

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・歴史的にみても地震の影響は大きかった

歴史を見ると、その裏付けにも思えるような自然災害の記録がある。それは、西暦880年の出雲大地震だ。日本の平安時代(西暦858887年の約30年)に編纂された歴史書「日本三代実録」(三代實録ともいう)にその裏付けを記す事柄がある。それによると、西暦88011月(元慶410月)に、出雲で地震があったことが記されている。

実際、現在経島で行われている「夕日の神事」はもともとタイワで行われていたという言い伝えがある。現在のタイワは海中にある。出雲地震より前に、タイワが水没していなかったとしたら、海を臨むその場所で神事が行われていても不思議ではない。

ちなみにアマテラス大御神は、西暦948年( 天暦2年 )に経島から現在の場所に遷宮されている。西暦88011月の出雲地震の影響でタイワでの「夕日の神事」が難しくなり、経島で神事が行われるようになっている

 

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岡本さんが撮影した映像や写真を見てみると、これらの仮説が「荒唐無稽」な話ではないことがわかる。亀石もさることながら、ボングイにおける祭祀跡は明らかに人為的に造られたもののように見える。半円形に削り取られた平らな岩場は、まるで太古の劇場を思わせる。円の周囲に人々が座り、その中央で神職が祝詞をあげるのにふさわしい形だ。

意図して造られていなければ、こうはならない。やはりこれらの場所で、神々を称え祀ったのではないのか?

お話の終わりに、岡本さんは「時間があれば見に行きましょう」とお声掛け頂き、船を出してもらうこととなった。

 

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・その昔、この海で何があった?

ダイビングで使っている小さな漁船に乗り、経島の周りをぐるりと一周。ウミネコの繁殖地として国の天然記念物に指定されているこの島は、陸から見るのと海から見るのとでは、その表情が異なっている。陸側から見ていると、ただの大きな岩の塊のようにしか目に映らないが、近づくと大きなひとつの生命体のように感じられる。海の波間にたたずみながら、ただ静かに沈黙する、ひとつの大いなる意思のようにさえ思えてくる

 

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その昔この場所で一体何が起きていたのか? 今は凪ぐこの海の底には、何が沈んでいるのか? 心のなかで問いかけても、当然答える声はない。

 

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ただただ焼けるように輝く夕日に照らされながら、ひっそり佇むのみ。その様子はまるで、まぶたを閉じてかすかに笑っているようにも見えた。太古の人々がこれらの島に、そしてこの海とそのさらに海のかなたに、神々の存在を願い信じた気持ちがわかる気がする

 

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岡本さんは今後も探索を続けるという。冒頭にも伝えた通り、海底での遺跡探索は困難を極める。できることなら、日本の専門家が集結して、ありとあらゆる技術を駆使して、一日も早く、海底遺跡の真相が明らかになることを願う。

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